東京五輪物語

先週2月20日(土)の朝日新聞夕刊に表題のタイトルで
添付の記事が掲載されました。
1964年の東京オリンピック時、開会式のリハーサルに、
忍岡の先輩方が日本選手団役として行進されたそうです。
そのお話しは度々伺っていたのですが、改めてご一読ください。

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「東京五輪物語」への3件のフィードバック

  1. 初めて伺いました。日本選手団役はどうやって決めたんでしょうね。64年は小2で母と妹と、聖火リレーを見に行きました。沿道にたくさんの人がいました。学校では、授業をせず、ほとんどテレビでオリンピックの観戦でした。その頃は教室にテレビがなく、映写室という部屋にいき見てましたが、上の学年と重なると2年生は、授業でした。悲しかったのを覚えています。東洋の魔女。アベベ。体操の遠藤選手が日本の騎手でしたよね。
    明日の東京マラソン10年目。誰か忍の知り合いは走ってないのでしょうか?第1回目のとき娘たちが高1で都立高校の運動部がボランティアで参加しました。給水所の手伝いでたくさん水をかぶってました。今は都立高校1年のボランティア授業として単位になるそうです。

    1. コメントありがとうございます。
      東京マラソンは先ほどスタートしましたが、東京オリンピック当時、白黒テレビで「円谷ガンバレ!!」って見てましたね。回転レシーブも、凄い技(?)だなと思って見てました。
      2020年の東京オリンピックのリハーサルは、誰が行進するのでしょうか?
      佐々木

  2. 日本選手団の役とはなんと光栄なことだったか、と思います。
    本当にたくさんの学校の中からどうやって選ばれたのでしょうね。戦後の復興の証しとして日の丸が今回とは比べものにならないくらい意識された前回のことでしょうから、選考の経緯にもそれなりのドラマがあったのではないかと、興味が湧きますね。2020年はどうやって盛りあがっていくのか行方が想像つきませんが、こういうことで考えると楽しみです。

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